2007年 01月 30日
笑う統計 |
数字って面白いものです
思いもしない統計が取ってあったりするんですね
たまたま見ていたら
神の存在を信じている国民の割合というのがありました
2000年の統計記録だそうです
エジプト、ヨルダン、インドネシアあたりだとほぼ100%で信じられていて
アメリカで95%ちょっと下がってギリシャあたりだと85%ぐらい
英国とロシアが60%でフランス、スエーデンだと50%
50%以上の国が多いですね
日本とチェコが35%ヴェトナム20%
韓国、中国は記載なしです
これとよくにた傾向にあるのが
死後の世界の存在を信じている人の割合です
ただ前者と比べると割合は大分下がってきます
61カ国中の半分ぐらいが50%未満です
だけど、これらは常識的に考えて強い相関を持っていると見えます
この数字をどう読むか
解釈は様々で、ちょっとした評論家ならばとんでもない珍説も飛び出してくるでしょう
余り肩に力を入れずに見ていたら面白いですよ
これと自殺率を比較検討したらどうなるかは、さっとは分かりません
相関係数を計算してみたら面白いかナーと授業に使えると思ってます
確実に言えることは
いろんな考えがあって、決して世界は一様ではないということです
妻も、なんとなく、統計の数字を見ているのが面白いのだそうです
ポケーと見ているといろんなことが想像されて楽しいですよ
浮気と信心についての統計なんか笑っちゃいますよ
統計学の基礎は確率論なんですよ ちょっと宣伝
今日もスマイル
思いもしない統計が取ってあったりするんですね
たまたま見ていたら
神の存在を信じている国民の割合というのがありました
2000年の統計記録だそうです
エジプト、ヨルダン、インドネシアあたりだとほぼ100%で信じられていて
アメリカで95%ちょっと下がってギリシャあたりだと85%ぐらい
英国とロシアが60%でフランス、スエーデンだと50%
50%以上の国が多いですね
日本とチェコが35%ヴェトナム20%
韓国、中国は記載なしです
これとよくにた傾向にあるのが
死後の世界の存在を信じている人の割合です
ただ前者と比べると割合は大分下がってきます
61カ国中の半分ぐらいが50%未満です
だけど、これらは常識的に考えて強い相関を持っていると見えます
この数字をどう読むか
解釈は様々で、ちょっとした評論家ならばとんでもない珍説も飛び出してくるでしょう
余り肩に力を入れずに見ていたら面白いですよ
これと自殺率を比較検討したらどうなるかは、さっとは分かりません
相関係数を計算してみたら面白いかナーと授業に使えると思ってます
確実に言えることは
いろんな考えがあって、決して世界は一様ではないということです
妻も、なんとなく、統計の数字を見ているのが面白いのだそうです
ポケーと見ているといろんなことが想像されて楽しいですよ
浮気と信心についての統計なんか笑っちゃいますよ
統計学の基礎は確率論なんですよ ちょっと宣伝
今日もスマイル
by kawazukiyoshi
| 2007-01-30 11:19
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Comments(1)
Commented
by
syumitetu at 2007-01-30 21:33
今晩は! 興味深い数字ですね!
私は「神がいるかどうか」とか「死後の世界があるかどうか」についての答えは生きている人間の意識の状態によると思ってます。
さらに人間はまったくの一人で生きているわけではなく、何らかの横のつながり(日本では「社会」ではなく「世間」)の中で生きていくわけですから、その社会なり世間なりの考えに影響されています。マルクスは西洋人として「人間の社会的存在が社会的意識を規定する」と喝破しました。
しかしわれわれ日本人は、幸か不幸か西洋風な「社会」に相応する実体を今に至るも持ちえていないと思っています。つまり西洋的な「個人」、社会や権威などに対して異をとなえる独立した人格はごく少数の「隠者」としてか、安藤昌益のように徹底した唯物論を実践するかしかありえませんでした。後者はむしろ例外でした。
日本という国とその社会は、西洋の物差しでは測れませんね。まさに仰るとおり「世界は一様ではない」です。
私は「神がいるかどうか」とか「死後の世界があるかどうか」についての答えは生きている人間の意識の状態によると思ってます。
さらに人間はまったくの一人で生きているわけではなく、何らかの横のつながり(日本では「社会」ではなく「世間」)の中で生きていくわけですから、その社会なり世間なりの考えに影響されています。マルクスは西洋人として「人間の社会的存在が社会的意識を規定する」と喝破しました。
しかしわれわれ日本人は、幸か不幸か西洋風な「社会」に相応する実体を今に至るも持ちえていないと思っています。つまり西洋的な「個人」、社会や権威などに対して異をとなえる独立した人格はごく少数の「隠者」としてか、安藤昌益のように徹底した唯物論を実践するかしかありえませんでした。後者はむしろ例外でした。
日本という国とその社会は、西洋の物差しでは測れませんね。まさに仰るとおり「世界は一様ではない」です。
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